テキサス州立大学オースティン校芸術学部のデザインおよびクリエイティブ・テクノロジー科が持つ、大学院レベルの「ヘルスケア・デザイン」コース。前編では、このコースの背景と内容についてお話いただきました。ここでは、ヘルスケア・デザインに携わる人材の育成についてさらに詳しく伺います。同コースを率いるタミー・グラスさんによると、プロジェクトの中には同校の医学部であるデルメッドや大学病院と親密に関わりながら進めるものあります。
「当然のことながら、実際の医療関係者が深く関わってくれれば、それだけ得られる情報もプロセスも良いものになり、リサーチやアイデアも具体的なものになります」。
そのためには対話がスタートとなります。春からスタートするプロジェクトならば、前年の夏から話し合いを始めるのですが、それはまるで外部のコンサルタントがやる売り込みのようなものであることも少なくありません。そのための学生グループも組織して、彼らが医療関係者と話し合いを続け、プロジェクトを遂行する際にはプロジェクト・マネージャーになります。
「医学部や大学病院など外部の医療関係者とは『コ・クリエーション(共創)』を行おうとするわけですが、こちらと同様に向こうにもコミットしてもらわなくてはなりません。そのために役立つのが、相手にスポンサーになってもらうことです。スポンサーシップの関係を築いて相手にコストを投資してもらうことで、時間も費やしてくれるのです」。
学生のプロジェクトのため巨額な投資でないことは確かですが、ただのアドバイザーや参考意見を言うような立場でなく、スポンサー関係を結ぶことによって相手にも当事者意識が生まれ、コミットしてもらうことが可能になると言えます。ただし、先述したようにアメリカでもヘルスケア・デザインはまだまだ若い分野で、全ての関係者がよく理解していることではありません。学生も、このコースを初めて知って、「なぜこれまで触れる機会がなかったのか」と驚く場合もあるようです。臨床現場ではさらに未知の分野です。
「たくさん言葉を尽くして説明しなくてはなりません。と言うのも、ヘルスケア・デザインとは何かについて人はそれぞれの見方をしているからです。施設や建物のデザインと捉えていたり、インテリアデザイン、あるいは製品デザインと思っていたりすることもざらです」。
その上で、グラスさんは同コースが考えるヘルスケア・デザインとは「システム・デザイン」であり、「サービス・デザイン」や「エクスペエリエンス・デザイン」であると言います。物理的な空間や製品のデザインが含まれることはあっても、そこが核心ではない。コ・クリエーションする相手にそこをまず理解してもらうことは、何よりも重要なのです。そんな苦労はありますが、アメリカでは病院が院内にヘルスケア・デザインのチームを作るケースは増えており、このコースを修了した学生たちも雇われるようになっています。
「そうしたデザインチームは未来に目を向けていますが、病院には従来のやり方があり、それを変えるのは容易ではありません。それでも医療機関がヘルスケア・デザインを始めようとしていることは確かです。学生たちが携わるのは、直接的なヘルスケア・デザインである場合もあれば、より広いソーシャル・インパクト的な問題解決であったりもします。いずれにせよ、われわれは卒業生の就職のために常に医療機関に働きかけていますし、毎日、毎週新しいコンタクトを開拓しています。そして、それ自体がヘルスケア・デザインを知ってもらう機会にもなっているのです」。
それでは、ヘルスケア・デザインに関わる人材は、どんな資質を備えているべきでしょうか。グラスさんは、次のような点を挙げます。それらは、ここでのデザイン思考の実践を通じて、学生たちに習得してもらいたいと考えているものでもあります。
「まず忍耐強さが求められます。というのも、どんな病院にも長年やってきた従来の方法があり、そんなレガシー体制がある中でものごとを転換させなければならないからです」。
レガシー体制を転換させるのは、一人でできることではないと付け加えます。
「自分一人で簡単に変えることはできませんから、周りの人とうまく協力できる人間であることも大切です。チームが効果を生むために、どのように仕事をすべきか。この学科でも、『コラボレーション入門』という授業を教えることもあります。そんなクラスはあまり見当たりませんが、現実的にはとても大切なことですから」。
そして、デザイン思考になくてはならないのは、次です。
「相手に対する共感を持つこと。これは不可欠です。相手の気持ちになって、その気持ちがどんなプレッシャーを受けているのかを感じられなくてはならない。そしてそれに応える。そんな感受性がなくてはなりません。プログラムの中では、どのようにしてそうした感受性を自分の中で耕していくのかについて、よく話します」。
さらにグラスさんが付け加えたのは、相手に間違った期待を抱かせないということです。外部のコンサルタント会社などが過大な期待をかけさせて、最後にはガッカリさせるような事例が医療の現場には数々あり、関係者が疑心暗鬼になっていることも少なくないそうです。学生たちのプロジェクトは、全てを解決するようなものでないかもしれませんが、学生と一緒に大きなシステムの中にある問題を一つずつ解決して、全体に近づく。そこにコミットしてくれるような相手と共創することで、違いが産まれるのかもしれません。こうした性質は、ひいては理想的な医療環境にもつながります。グラスさんはこう言います。
「理想的な医療環境とは、公平で共感に満ち、共創が可能な場所です。自己中心的なところやヒエラルキーもなく、オープンマインドで既成の環境を変えていけるところです」。
そうは言うものの、現状を変えようとする際にはいつも抵抗に遭うものです。
「そうした時、ヘルスケア・デザイナーとして考えるべきはマインドセット(心の持ち方)です。『コラボレーション入門』の授業でもよく話しますが、肝要は先がよく見えない中でも落ち着いていられることではないでしょうか。デザイナーとしてクリエイティブに状況を捉えるのです。一方、慣れていない人々にとって、曖昧な状況に立ち向かうのは難しいことだと理解するのです」。
相手はどんなバックグラウンドから来ているのか、どんな価値観を持っているのかを考え、彼らのマインドセットに合うような枠組みを見つける。つまり、自分の方法に相手を合わせさせるのではなく、相手が理解できるように自分から合わせていく、相手の言葉で話す、それが大切だとグラスさんは語ります。そうすることによって、相手に影響を与えることができ、デザイナーとして何をしようとしているのかをわかってもらえるのです。
グラスさんは、医療デザインのコースを率いていて大変な喜びを感じるのは、自分がクリエイティブではないと思っている学生が、実際には非常にクリエイティブなことをやっているのに気づいた時だと言います。
「このコースには多様なバックグラウンドを持った学生がやってきて、必ずしもデザインの訓練を受けた学生ばかりではありません。医用生体工学を修めた学生、医療コンサルティングをやっていた人、看護師など本当に幅広い。彼らは、自分がアーティスティックでないことに引け目を感じています。しかし、私が日々仕事を続けていけるのは、デザインがポジティブな変化を起こす可能性を持っていると感じるからです。そして、誰でもデザイナーになることができるのです」。
それがクリエイティビティーの面白いところだと言います。同大学で設けられているような医療デザインのコースは、さざなみを起こして、いずれヘルスケア領域に大きな変化をもたらすだろうと、グラスさんは期待しています。ここでは、医療はどうあるべきかを再考する中で、カリキュラムの内容、学生が本当に何を学ぶことが必要か、実践はどのようになされるかといったことを根本から考えています。
「医療はデザイン思考がまだ手をつけていない、最後のフロンティアです。デザイナーがインパクトを与えて、これから大きく変わっていく。今後5〜10年で、ヘルスケア・デザインという領域は、今とは比べものにならないほど大きな業界になっているはずです」。
アメリカの医療機関が、院内の大小の問題を解決しようとして取り組んでいるヘルスケア・デザインは、これからグラスさんが率いる医療デザインのコースの卒業生のような人材を得て、力強く発展していくように感じられます。観察力と共感、そして実験を厭わない挑戦と、古いレガシー体制についても理解できるオープンマインド。医療は社会と深く関わっているからこそ、最も複雑で重要な場です。そこにコミットしてインパクトを与えられるような人材が育てられていることは、未来への大きな期待につながるものではないでしょうか。