欲しい情報はインターネットで簡単に手に入る。検索型社会に生きる私たちは、自分と向き合う時間を加速度的に失っているのかもしれません。
一方、書店や図書館のようなアナログなプラットフォームには、未知の領域を広げる引き出しが満ちています。
8月某日の青山。閑静な住宅街に佇むオフィスにてお話を聞かせて頂いたのは、数々のライブラリーづくりを通じて人と本の出会い方を問い続ける、BACH(バッハ)代表・ブックディレクターの幅さん。
医療施設におけるライブラリー制作。そこには一体、どのような挑戦があるのでしょうか。
幅 允孝(はば よしたか)
有限会社BACH(バッハ)代表。ブックディレクター
人と本の距離を縮めるため、公共図書館や病院、学校、ホテル、オフィスなど様々な場所でライブラリーの制作をしている。最近の仕事として「早稲田大学 国際文学館(村上春樹ライブラリー)」での選書・配架、札幌市図書・情報館の立ち上げや、ロンドン・サンパウロ・ロサンゼルスのJAPAN HOUSEなど。安藤忠雄氏の建築による「こども本の森 中之島」ではクリエイティブ・ディレクションを担当。「千里リハビリテーション」「さやのもとクリニック」「神戸市立神戸アイセンター」「桜十字病院」など病院でのライブラリーも多数手掛ける。早稲田大学文化構想学部非常勤講師。神奈川県教育委員会顧問。
本のステータスは時代や地域とともに変容してきました。今やブックカフェといえば、Instagramに映えるコンテンツとして、感度の高い若者に人気のスポットではないでしょうか。
そんなブックカフェの立役者でもある幅さん。本の仕事に携わるきっかけはどこにあったのでしょうか。
“僕は大学卒業後、海外をバックパック旅行していました。日本に帰ってきて最初に就職したのは六本木の本屋さんでした。2000年にAmazonの日本法人が設立されたのですが、そのタイミングで書店の現場にいたということになります。当時はダイヤルアップなどでネットを繋いでいましたので、メールを1通送るのにも10秒くらいかかる時代。まさかインターネットで人が本を沢山買いだすとは、思いも寄りませんでした。しかし回線の拡大が進むにつれて、本屋は利用されなくなっていきました。
僕の危惧は書店の売り上げが下がることよりも、来店客数が減ることにありました。本は著者以外の誰かが開いて初めて本たりうる、と自分は思っています。ふらっと来て少し立ち読みして戻す。その行為によって、他者の目に少しずつテキストが晒されて本に熱が溜まってゆくと思うのです。来店客数が減ってしまうと、本屋自体が冷たい空間になってしまうのではないか、と現場で体感しました。そして考えるようになりました。人が本屋に来ないのであれば、人がいる空間に本を持っていってしまえばよい、と。”
最初の転機は石川次郎さん(※1)との出会い。石川さんからのお声がけで、TSUTAYA TOKYO ROPPONGI(現在の「六本木 蔦屋書店」)の立ち上げをする仕事に関わり、選書や本の入替を担当することになりました。
TSUTAYA TOKYO ROPPONGIは、飲食エリアと本の売り場、2つの境界線を跨いでドリンクを持ち込める、いわばアメリカの書店文化を日本に持ち込んだ初めてのブックカフェでした。画期的なカフェは徐々に反響を呼び、やがて選書担当だった幅さんへ本屋や図書館づくりのリクエストが直接来るようになりました。こうして2005年、BACHという会社を立ち上げたのです。法人の設立を機に、公共図書館や学校、ホテル、オフィスなど、分野を跨いで本の居場所づくりを手掛けるようになりました。
そんなある時。一本の電話から、病院のライブラリー制作依頼が届いたのでした。
脳卒中のリハビリに使える本を1500冊集めてください
幅さんに最初に電話をかけたその人は、千里リハビリテーション病院の理事長でした。
「脳卒中のリハビリに使える本を1500冊集めてください」
こんなオーダーからプロジェクトが立ち上がりました。
ホテルや学校と比べて、人々の過ごし方がイメージしづらい病院。「だからこそやりがいがあった」と振り返る幅さんが実践したのは、想像以上に地道なアプローチでした。
“まずは自分で本を取り寄せて、疾患やリハビリテーションについて基本的な部分を勉強しました。そして、それぞれの病院の専門性や背景を理解してからインタビューに行きます。何人もの患者さんにお会いしてお話を伺いました。インタビューを行うと、良い意味でベースの部分(基礎的な知識・情報)を覆されたり、その施設ならではの固有性を発見したりすることが多いです。インタビューで重要視するのは、色々な本を現地に持っていき、実際にお見せしながらご意見を聞くこと。どんな本がどう響くのか分からないのですが、内容は然り、本を読む行為自体のストレスも聞き出します。健常の方は気楽に読める本がそうでない人にとってはストレスがかかるものです。本の重さや文字のサイズも考えます。
僕が最初に注目したのは、病院には意外に時間があるということ。午前・午後に1時間弱のリハビリ、お食事やお風呂を除くと、結構スペアな時間があるのです。今まで必死に仕事をされていた方が入院されているのであれば、なおさら余白の時間がたっぷりある。だから忙しくて今まで読めなかった本を読んでもらおうと、いわゆる長い小説を持って行ったのです。いろいろ持って行って「どうでしょう?」と聞くと「えんちゃう」と言ってくれました。だから、「こんな感じなのかな?」と思っていたのですが、ある時年配の女性に怒られました。「あんたこんな本持ってきても読まれへんよ、私は1行1行下敷きを使わないと読めない、1000ページもの本、読めるかいな」みたいなことを言われて、「本当にごめんなさい。全然気づきませんでした」と。”
インタビューを重ねるうちに、幅さんは気がつきます。
“インタビューをしてただ話を聞くだけでは前に進めませんでした。だいたい「いいね、いいね」としか答えてくれない。今まで出来ていたことが出来ないストレスがものすごく溜まっている方たちですので、赤の他人に「こんなの読めない」と言うのもストレスだったのです。しかしインタビューを重ねているうちに、そこの地場や本来あるべきものが見えてきます。教えてくれた女性に、どこでも読み始めてどこでも読み終えられるような詩・短歌を持って行き、長い方と短い方を比較して見せると、後者が良いと気がついたりしました。”
ひとりの読者をまずは探すこと
活動を続けていると、別の病院からも依頼が入るようになりました。佐賀市内に位置する通院型の診療内科、さやのもとクリニックもそのひとつです。
“さやのもとクリニックでは、テキストを読むよりビジュアルの方が楽だと感じる方が多くいらっしゃいました。写真集であればなるべく写真再現性の高い綺麗な写真集が良いのではないか、と現地に持って行きました。綺麗な写真集は大判なのですが、「足に落とすと危ない」といった意見が出ました。その辺りは現物に触りながら感触をひとつひとつ辿っていきます。
また、クリニックでは「今朝、何を食べましたか?」と患者さんに聞くのが日課です。短期的な記憶は得意ではありません。長期記憶的な部分は覚えているのですが、1964年のオリンピックや大阪万博など、国民的な記憶に対する反応があまり良くありませんでした。一方で、最初によい反応を頂いたのは農工具の図鑑でした。一次産業に従事していた方が多いためでした。また、三樹書房さんが出版している『国産三輪自動車の記録』というマニアックな本をサンプルに持っていったところ、息子さんのお名前を忘れかけているおじいさんが「これを買った!」とダットサンのオート三輪の写真を指さして大きな声を出したのです。”
相手の言葉、表情、一瞬の反応に宿る微妙なニュアンスから、そこにあるべき本を見極める。このアプローチについて、「ひとりの読者をまずは探すこと」と、幅さん。
“その人のトリガーがどこにあるのか分からない。遍くすべての通院型心療内科のライブラリーに共有する要素も分かりません。本で重要なことは、ひとりの読者をまずは探すことだと思うのです。ゲームのようなアミューズメントがシェアベースに構築されているのに対し、本は一部のビジュアルブックを除いて、ひとりでしか読めないものです。孤独に陥らざるを得ないのは、本というメディアの豊かで面白いところだと僕は思っています。まずはひとりの読者を見つけて、そこから2人、3人…へと共感する層を増やしていくことが重要ではないでしょうか。”
さらに幅さんは、ライブラリーづくりのもうひとつの側面について、「施設からのメッセージを届ける場所」と話します。
“当初、僕たちは患者さんのためのライブラリーを目指していましたが、徐々に家族のために変わっていきました。「うちのおじいちゃんがボケてきてしまったと周りの人に言いづらい」「介護が終わった後の生活がイメージできない…」といった声を聞き、半分はあえて家族のための選書にしました。おじいさん・おばあさんが先生に診察してもらっている15分間に闘病記を読む人がいるのでしょうか。空に関する本や次の旅先を探すための本を置き、介護に縛られている気持ちを開放しやすくする。こういった考え方で本を選びました。
本棚には、置いてある本によってどんな場所か見えてしまう部分があります。病院からのメッセージを高らかにホームページで謳うそれではなく、さりげなく伝える手段としてライブラリーを捉えています。”
ライブラリーづくりはパッケージ化できない
3つ目にご紹介する神戸アイセンター内のVision Parkは、リハビリ、展示スペース、セミナーや就業支援を行うホールを兼ね備えた施設です。目の不自由な方が利用する場所で、どのようにライブラリーをつくっていったのでしょうか。
“VisionParkの場合は、全盲の方と弱視の方にとって必要な本をどう分けようかと悩んでいました。インタビューを同時に行うことはとてもじゃないけどできません。全盲の方であれば、音声図書も発達しているけれども、機械の声より生の音声による朗読の方が良い。香料印刷はこすると匂いが強く、聴覚以外の五感から突然情報が入ることへの面白さを感じてもらえました。”
さらにこう続けます。
“注目したのはオノマトペの聞き分けです。健常者は電車が通る音を「ガタン ゴトン…」と表現します。三宮麻由子(※2)さんの絵本『でんしゃは うたう』では、電車が出発してから次の駅に行くまでの電車の音を「ドダットトン ドダットトン タタッ ツツ…」と表すのです。三宮さんは全盲の方なのですが、聞こえてくる音を細やかに聞き取り、それを音節に分けて言葉に落とし込みます。素直にそのイマジネーションに感動しました。言葉を音としてリズムで捉えるなら、全盲の方の方がストーリーを深く読める作品が絶対にあるはずだろうと、オノマトペの本や詩集を積極的に選書しました。
一方、弱視の方はテキストを読めない・読みたくない方が多くいらっしゃいました。そこで焦点を当てたのは写真集です。モノクロよりもカラー、ソフトフォーカスよりもコントラストと、はっきりした写真を好まれました。
森山大道さん(※3)のモノクロの写真よりも篠山紀信さん(※4)の作品の方が好まれやすい印象でした。中でも一番受けが良かったのは『アイドル』という作品集。1970年代から2000年代までのアイコニックな人たちのグラビアです。「西城秀樹が水着1枚でバイクに跨っている写真です。」と言うと、ファンのマダムは「本当?!」と顔を近づけて見てくれていました。そんなやりとりを繰り返していると、弱視の人にとっては「何が見えるか」よりも「何が見たいか」の方が大事なのではないか、と思ったのです。阪神タイガースのファンが多かったので、1985年の優勝胴上げを見たいという声もありました。甲子園のハイライトシーンや阪神淡路大震災前の神戸の街並みを見たいといった声も拾いました。”
幅さんが行うのは、インタビューをしながら選書の骨子(コンセプト)を固め、それに準ずる素材を集める作業。この工程は個々の人々に最適化されてゆくため、ひとつとして同じライブラリーは存在し得ないということが伺えます。
“VisonParkのライブラリーを別の場所、例えば名古屋の病院で再現することはできません。ドラゴンズファンがきっと怒ってしまうでしょう。ライブラリーづくりは決してパッケージ化できるものではないのです。骨子は都度に応じて、サイトスペシフィックに、その場所ならではの選書をしなければいけないと感じています。みんなにとって良い選書は正解がないため分かりませんが、そこの場所のひとりひとりに本が果たせることがあるのではないか、と思いながら仕事をしています。”
「気がついたら読んでいた」状態を。
もちろん、良いお話を聞いて・良い本を集めることがライブラリーづくりの全てではありません。「本は細かく分類され、意図をもって配置されなければならない」と語る幅さんですが、本の差し出し方を考えるにあたり、サインや家具計画など周辺環境を整えることもお仕事の一部です。
“ある公共図書館の事例ですが、新刊図書(新しく出版された本)を魅せる書架の前には少し固めの床材を使ったところ、回遊の回転率が上がりました。一方で、一類と呼ばれる「哲学・心理学」のコーナーは本への没入に多くの時間がかかるため書架の下には毛足の長いカーペットを利用しました。椅子は高さによって使い分けます。近年は郷土資料を積極的に手に取ってもらうよう促す公共図書館は多いのですが、座面を低くしてマテリアルを軟らかくすると、滞留時間が延び、本が手に取られやすくなりました。公共図書館のユーザーは年齢層が上がっているため、重量感のある芸術書は手に取った後に置ける台があるかないかで読まれる可能性が変わります。”
これらの環境づくりは、単に意匠性を満たすためではないようです。意識していたのは、「読者と本の距離感」でした。
“「格好いい場所をつくりたい」とか「家具にお金をかけたい」というよりも、一冊の本を読んでもらうために色々な工夫をしています。「気がついたら読んでいた」状態がベストです。居心地は計算してできるものではないのですが、「ここだと心地よいから本を読める」と思ってもらえる環境を、本を始発点としてどこまで考えられるか、それが最近のテーマです。”
このテーマについて、幅さんがご自身の仕事を「クリエイティブよりも慮り(おもんばかり)」と表現するのは、人の心への共感をどこまでも突き詰めた先に完成形があるからかもしれません。
人と本の距離に存在する、おせっかいと親切の境界線。そこに空間づくりの意味を見出します。
“僕たちは本を読む誰かに、「ここで感動してください」と言うつもりはありません。100人100通りの読み方があり、むしろ100人全員が賞賛する本は危険くらいに思います。しかし、これだけモノも情報も豊富にある世の中で本から得た情報は、その人のどこかに刺さって抜けなくなる可能性が、ソーシャルメディアなどと比較して高いのではないかと思っています。そしてどんな小さなことでも日々の生活に作用すれば良いな、と思います。
いつも気をつけているのは、読者に関して強制的なオーラを極力発さないことです。読む自由があれば読まない自由もある。「読め」と言われた途端に、学校教育のそれを同じような文脈で絡み取られてしまうのです。特に病院はそうかもしれません。気持ちよく病院に行く人はあまりいません。どこか身体や心に問題を抱えて行く場所ですから、ともすれば威圧的になりがちなライブラリーに、「読んでも読まなくても良い」くらいのちょうど良い距離感を意識して本を配置しています。”
最後に、本に関わる今後の活動について、展望を聞いてみました。
“一部の人の嗜好品としてではなく、誰でも本を手に取れるよう開いていかないと未来は暗いと感じています。僕は公共図書館や病院図書室など、パブリックに開いている場所、あらゆる人が来る可能性のある場所へもっと挑戦していきたいです。ある意味、誰でも来る「容赦のない所」です。
本は即効性ではなく遅効性の道具です。いつ芽が出るか分からない種まきだと思っています。日々のスピード感がどんどん早まる現代に、いつかはきっと限界が来るはず。だからこそ、回転数を落とす場所に本があると良いのではないか、と思っています。能率とかとは違った階層で、「自分と対峙する」「書き手と対峙する」場所に本が生きて根っこをはる。そこの場所で過ごす時間も含めてどのように提案していくのかが今後のキーポイントだと思っています。”
溢れる情報の洪水に見失ったのは、本のある生活と、そこから得るはずの深く・豊かな時間でした。
病院も例外ではなく、むしろ病院だからこそ、心を豊かにする本の存在が欠かせないのかもしれません。患者さんやご家族、医療従事者の方々も。その施設を利用する人の数だけ、偶発の出会いが溢れることでしょう。
この週末は久しぶりに図書館へ行きたくなったPM11 :00。そこにはきっと、知らない世界が待っています。
【注釈】
※1 石川次郎(いしかわ じろう):編集者。平凡出版(現:マガジンハウス)の創業者の1人。ポパイやブルータスの初代編集長を務める。
※2 三宮麻由子(さんのみや まゆこ):エッセイスト。幼少期に視力を失う。著書『そっと耳を澄ませば』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。
※3 森山大道(もりやま だいどう):写真家。日本写真批評家協会新人賞、日本写真家協会年度賞、ドイツ写真家協会賞など多数受賞。
※4篠山紀信(しのやま きしん):写真家。日本大学芸術学部在学中より新進写真家として注目を集める。芸能人・著名人の写真集を多数出版。