これからの病院の設計やデザインを考えるうえで、患者の過ごしやすさと同じくらい、働く方の「働きやすさ」は重要になっていくはず。だからこそ、設計プロセスにその空間で働く人々──たとえば看護師などが入っていくことが求められるでしょう。
今回お話を聞いたのは、そんな稀有な取り組みをしてきた田中小百合さん。田中さんは独立行政法人 地域医療機能推進機構(JCHO)大阪病院(以下、JCHO大阪病院)の設計にかかわり、看護師にとって、明るく働きやすい、動きやすい病院を追求してきました。
その結果、病院現場では、患者さんがナースコールを押す回数は、1日1患者あたり1.9回から1.2回に減少し、看護師の移動距離は平均5.9kmから2.6kmに半減したそうです。前後編となるインタビューの前編では、JCHO大阪病院の設計に田中さんが関わりはじめた経緯から、看護師視点による新設計のポイント、完成後の病院が「働きやすさ」へどのような影響を与えたのかをお聞きします。
田中さんのお話から、看護師や病院スタッフ一同が明るく働きやすい職場環境をつくるヒントが見えてくるはずです。
田中 小百合(たなか さゆり)
大阪厚生年金看護専門学校卒業、大阪市立大学大学院経営学研究科前期博士課程修了。
1984年大阪厚生年金病院就職、附属看護専門学校の専任教員、看護師長・副看護部長を経て、2015年よりJCHO大阪病院看護部長、2019年よりJCHO中京病院看護部長を歴任。2020年JCHO中京病院特定行為研修センター設立に尽力し副センター長。2022年4月よりJCHO大阪みなと中央病院看護部長。
病室をもっとも理解しているのは「看護職」
── 田中さんは、1984年に大阪厚生年金病院(現・JCHO大阪病院)入職後、2015年に完成した新病棟の設計に当時は副看護部長の立場として携わられていたかと思います。改修前の病院では、どのような課題を抱えていたのでしょうか?
これまでの病院は、決して看護師や患者に寄り添った設計とは言えませんでした。改修前の古い病院は、6人床の病室が多く、個室が少ない病院でした。
また、旧病院は築50年、新しい部分でも35年経過しており、どうしても「時代の流れに合わない」部分がたくさんありました。例えばベッドとベッドの間が非常に狭くて、「隣の人の寝息や話し声が気にならないような配慮がほしい」と患者さんからよく要望が来ていました。また、距離が近いことでプライバシーの問題も発生します。
それだけでなく、ドクターやナースの数も、旧病院の建設当時からすると2倍ほどに増えていたので、そもそも建物の中が人で溢れかえっている状態だったんです。
──患者にとっても、働く看護師にとってもストレスがかかる環境だったんですね。看護師中心の病院改革は、どのような経緯で始まったのでしょうか?
2011年4月のはじめに新病院建設が決まり、院長から各部署に「要望書の提出」が求められ、各部署からの要望を提出しました。要望のなかのトップが「療養環境の改善」。病室の整備だったんです。
一般的には、病院建設では院長、あるいは事務方が関わります。しかし、当時の院長は、病院を建て替えるための大きな目的が「療養環境の改善」であれば、看護師が中心となるべきだと考えてくれていました。なぜなら、病室のことを一番わかっているのは、医師でも事務職でもなく、患者さんと日常的に接している看護職だからです。
またJCHO大阪病院は、第二次世界大戦の負傷者の方々のためのリハビリテーション施設として設立された背景があります。そのため治療だけでなく、退院後の患者さんの日常生活を視野に入れて支え続けることを重視する考え方だったことも、この方針に影響していると思います。看護師も、私たちが中心となるのは当たり前のこと、当然のことだと自然に捉えて設計にかかわりましたね。
新設計による「看護職の働きやすさ」の変化
──患者のQOLまでを考えてきた歴史的な背景があり、今回の病院設計への参画が決まったんですね。具体的に、田中さんたちが中心となって実施した病院の改革内容について教えてください。
まず最大の特徴は、新病棟は四葉のクローバー型に構造設計されていることです。1フロアは2看護単位で構成され、東病棟と西病棟に分割。それぞれの病棟に長いカウンターのあるスタッフステーションと、「出島」と呼んでいるサブステーションが2カ所ずつ設けられています。
この構造は、「どの病室もスタッフステーションから近くにあるといい」という要望を受けて設計してくださいました。看護師は、患者さんが声をかけやすいオープンカウンターに待機しており、スタッフステーションからは病棟全体を見通すことができます。「出島」で看護記録を記しながら、あるいは指示確認や清拭などの準備をしながら、常に患者さんのことを間近に見守れるという、いつも看護師がそばにいる状態を実現しました。
また、病室の設備についても旧病棟の6人部屋をなくして4人室にし、「隣の人の寝息や話し声が気にならないような配慮がほしい」という要望を反映して、入り口側の2ベッドは斜めに配置し、頭部側と頭部側の間隔が3メートル近く離れるように配置しました。
さらに、ナースコールやコンセントなどのユニットは頭上にあることが多いのですが、ベッドアップしたときの使い勝手の悪さや危険性なども考慮して、ベッドと重ならない位置に縦に配置しました。その際にも看護師の作業効率を考えて高さも決定しました。
──ものすごく細かい部分まで配慮を行き届かせて決められていたんですね。
患者さんの療養環境のことは、全部看護部が決めていましたね。当時私は副看護部長で、病棟の設計についてあらゆる方面から考えていました。
ベッドの配置、トイレの位置、洗面台の位置、ドアの開閉の種類、蛇口の形状までさまざまです。また、ご要望の多かった個室も設置しました。個室では、手術や検査、急変時でもすぐにベッドごと移動できるように、ベッドは入り口側に、シャワー・トイレは窓側に配置しました。シャワーから出てきたところで、入室してきた医療従事者と鉢合わせるということもなくなり、プライバシーへの配慮にも大いに役立ちました。
──新病院完成後は、「看護職の働きやすさ」に変化はありましたか?
明らかに働きやすくなりましたね。これは感覚だけではなく、旧病院と比較したデータも取っています。一番大きな成果は、ナースコールの回数が、1日1患者あたり1.9回から1.2回に減少したことです。出島があることで、病室を訪れる回数が増え、患者さんのそばにいる時間も増える。患者さんも看護師がそばにいる気配を感じるからこそ、いたずらにナースコールを押すこともなくなったのだと思います。
また、看護師の動線も短くなりました。看護師の移動距離は平日の日勤で平均5.9kmから2.6kmに半減。移動が減った分、1日1患者あたりの看護師訪室時間は約46分から約65分に増えています。データで明確に改善されたことがわかり、非常に嬉しかったですね。
病院はできあがってからの改善が重要
──ここまでお話されてきたような病院改革を経て、看護師や患者の体験はどう変わったと思いますか?
新病院が開院した後、看護師はあたふたと廊下を走ることもなく、病室近くの「出島」でパソコンに向かい、清拭準備などの作業ができるようになりました。前述のように、病室を訪れる回数が増え、患者さんのそばにいる時間も増えたため、ナースコールの頻度も減っています。
しかし、大事なことは建設してからも、改善を重ねることです。「療養環境の整備」を重視し、病室の改善を第一とする方針で今回の建築は進めましたが、実際に完成して使いはじめて、やはりスタッフから休憩室やカンファレンスルームが狭いという意見が上がったんです。新しく病院を作り上げることはもちろん大切ですが、実際に建物ができあがったあと、それをどう利用していくかが大切だと感じましたね。
──田中さんは現在所属しているJCHO中京病院でも、新病院の建設に関わっているとお聞きしました。二度も病院建設に関わる経験は、きわめて稀なことだと思います。それが田中さんご自身の看護職としての使命かもしれませんね。
ありがたいことですね。JCHO中京病院では病棟構造に、見通しの良い多職種が自然と集まれる空間を提案し、採用されました。わたし一人の力だけでなく、多くの看護師が病院設計に当事者意識を持ってかかわり、自分たちでルールを決めて、自分たちで運用していく。そうすれば、自ずと明るく、働きやすく、動きやすい職場が生まれるはずだと思いますね。
Text by Tetsuhiro Ishida, Edit by Kotaro Okada